あさえです。
こんな日記だけのブログだけれど、書くのってそこそこエネルギーを使うのです。
割とどうでもいいこととか思ったことをそのまま書き綴っているブログなので、結構テキトーな内容な事が多いです。
文章ぐっちゃぐちゃ。日本語ぐちゃぐちゃ。誤字脱字だらけなんてこともざらだけど、それでも一応ブログとして、まとめて書くからにはそれなりにエネルギーを使います。
ツイッターで思ったことをその場で瞬間的につぶやくのとは違うエネルギー。
ツイッターの140文字と、ブログの140文字の違い。
ツイッターの上限が140文字なのだから、単純に10ツイート分くらいの文章を書けば1400文字でそれなりの分量がかけるはずなのに、そうはいかない。
ブログとして、一つのかたまりとして認識して、ちゃんと書こうっていう認識というか。
表現力が乏しくてうまく言い表せられないけれど、Aについて10ツイートかけて呟くのと、ブログとして1つの記事にまとめるのの違いが、私の中では小さいようで大きい。
こんな日記ブログでそうなのだから、もっとちゃんとまとめたことを書いているブログの人達は日々どんな気持ちでブログを書いているんだろうと思う。
それとも私に才能がないだけでもっとやすやすと簡単に文章を生み出しているんだろうか。
それともみんな苦労しつつそれなりの経験と努力を重ねて今の力を手に入れて文章を生み出しているんだろうか。
どれに偏ることもなくて、どれもあり得て、どれでもないかもしれない、というのが真実なのだと知っているけれど、だからこそ今の自分の状況がもどかしくてしょうがない。
文章を書くことは好きだ。
今こうして文章を生み出しているのだって、いやいややっているのではなくて、自分が好きで、楽しくて、書きたくて、書きたいことを好きなように書いているんだ。
夜寝る前にこうして心のうちを少しまとめて書き出す時間がとれている今は結構精神安定に役立っている気がする。
自分の中だけでぐるぐるさせておくと腐ったりわけがわからなくなったりするから。
それをわかっているのに、いまだにいろんなことをぐるぐるさせている自分も嫌だ。
だから書くことはたくさんあるし書きたいこともたくさんあるんだ。
でもこのぐるぐるしているものを吐き出すだけの、文章として生み出すだけのエネルギーがない。
それだけの余力がないんだ。
それをしてしまうと、自分がどうなるかわからなくてできない。
毎日の生活に保険をかけているような生活。
危ない橋を渡れないようでいて、ひどく遠回りをしている、そんな気持ちになる。
危ないと思っているその橋は本当に危ないものなのか。
安全だと思っているその遠回りの道は本当に安全なんだろうか。
そうやって考えて考えて、考えてもしょうがないんだよね、ってまたへこんで。
どうするのが自分にとって一番いいのかよくわからない。
「自分にとって」一番いいっていうのが難しい。
あの人にとってはこっちだろうな、あの人にとってはこっちだろうな、っていうのはわかるのに不思議だね。
対人関係の中でしか自分の存在意義を見出せないのに、対人関係に疲れ果てて切ってしまいたくなったりするんだから私っていうのはひどく面倒くさくできているんだなあって書いてて気づきました。
明日になったらきっともうちょっとよりよく生きていけるようになっているから大丈夫。
夜はちょっとナーバスになるからあれですね。
2016年の上半期も終わってしまうらしいし、月末で実はお仕事もちょっと忙しいので、今週、もうひとがんばり。
がんばります。
おわり。