あさえ がんばる

高校中退フリーターでしたが、現在はライター兼・会社員になりました

他人の思考にモヤった原因を自分の中に見つけたのでがんばりますという決意表明


あさえです。

めっちゃ些細なことなんですが、「断言する人」「強い言葉を使う人」「おしゃべりが上手な人」に丸め込まれるというか、そういう人に対してストレートに好意的な人を見ると危うさを感じてハラハラしてしまいます。

 

他人のことなので、お前関係ないじゃんって言われたら本当にその通りなんですが。

 

で、他人のことなのになんでいちいちモヤったり気にしたりしちゃうんだろうな、って考えたら、結局自分がそういう強い言葉を使う人に背中を押してもらいたいって気持ちがあるからなんですよね。

 

何かが不安で迷っているときとか、自分の決断に自信が持てないときとか、誰かに背中を押してほしい、誰かに決断してほしい、これで大丈夫って言ってほしいって思うんですよね。

誰しもそういう部分はあると思うんですが、私はもう30歳なので、自分の決めたことには自分で責任を取らなくてはいけないし、他人の意見を参考にすることはあっても、決断の責任をゆだねてはいけないと思うんです。

 

そんなこと当たり前かもしれないけど、私はこれを自分にめっちゃ言い聞かせていないとすぐ人のせいにしたくなってしまいます。精神が未熟なので。

「これで大丈夫って言ったじゃん」「あなたが背中を押してくれたからこっちに行ったのに」っていつでも心にわいてきて、それを理性でぎゅって押さえつけていて。

だから、私が抑えているものを表に出している人を見たら、イラっとしちゃうんですね。

 

おまえ~~~~~もう大人なんだから人のせいにしちゃだめでしょ~~~~~~!!!!ってなってしまう。

もっと言うと、そんな他人のことに対して断言する人どう考えても怪しいでしょ~~~~~!!!その人はあなたの人生に責任なんて持ってくれないんだから、もっと決断は自分でちゃんとやりなさいよ~~~~~~!!!ってなる。

 

余計なお世話ですね!?!?!?!??!!

 

書き出すと余計なお世話感がすごい。

完全に自分の未熟さを他人に押し付けている。これはよろしくないですね、ってことです。

 

そもそも論、私が自分の決断にあまり自身が持てない割に頑固なのって、自意識が高くプライドが高いわりに自己肯定感が低いからなんですよね。

基本的にこの精神構造が私の生きにくさの大半を生み出している気がする。

もうちょっと自分の身の丈にあった自意識というか、自他の区別をちゃんとつけていく、とか、プライドが高いのがどうにもならないならちゃんと努力する、とか、そういう自分の生きにくさにちゃんと目を向けて、ちょっとずつでも改善していかなくちゃなって。

 

自分の生きにくさを外に転換して、あの人がむかつく、こんな嫌なことがあった、みたいにしてしまうの、あまりに生きにくい。

なんでそうなったのかって、そりゃ成長過程で思考をゆがめなければ生きていけなかったのだろうけど。今の環境なら、もう少しいろんなことを自分の責任で生きるほうが生きやすそうだなぁと思ったので、ちょっとずつ頑張っていきたいです。

というふんわりとした概念にまみれた決意表明。です。

 

 

結局いつも「プライドが高いわりに自己肯定感が低い。その歪みを外に向けているので生きにくいのである」という結論に落ち着く気がする。

その対策として認知行動療法してみたり、自律神経だ!って言って生活習慣改善してみたりしているわけなんですけども。

まあ一朝一夕でよくなるものでもないので、ブログにでも書き出しながら年単位で自分と向き合ってがんばっていきたいです。

 

おわり。