あさえです。
ちょっとだけ自分の話がしたい気分。なので今日は私の中にいる私の話をします。
超自分語り、というか書いていたら隠し切れない闇だらけになりました。
幻滅されたら嫌だなぁってちょっとだけ投稿をためらったけれどせっかく書いたし、もう年末だし、毒は吐き出しておこう。
と思い切って投稿。多分結局闇しかないです。
二重人格なんて大げさなものではなくて、誰でもきっといると思うんですよね。行動している自分と、それを見ている自分。
何かを考える時に賛成する自分と反対する自分。
何人もの自分がいて、一緒に人生を歩んでいると思っています。
私の中には
私のことが一番大事な私
同居人のことが一番大事な私
やっぱり私が嫌いな私
私が好きな私
世界を憎んでいる私
姉としての私
妹としての私
きょうだい児としての私
子としての私
ほかにも色んな私がいて、随所でぽっと現れては私と喧嘩をします。どれが主になっている私かなんていうのもわからないというか、いつもどれかが混ざっている感じ。割合はその時々で違うけれど。
今はまだ文章におこすほど消化できていないというか、まだその年齢に達していないというか。詳しくは今は書けませんが私、ある時に決めたことがあるんです。
この歳まで生きよう。その歳になったら死のう。終わりが決まっているのだから頑張れるでしょ。
って。そうしたんです。
そうしてノートを1冊作って、そこに色々書いたのです。私はこういう理由でそう決めました。だからこれを読んだらこうしてください。私を知ってくださいっていうような内容のノート。
でもその時と今とでは状況が変わってしまいました。もし仮に、同居人と結婚なんて事になったら簡単に一人で消えてしまうわけにはいきません。
いや、結婚しなかったとしても同居している時点で既に簡単に一人では消えられない。まず同居を解消するところからはじめなければならないのです。こりゃ困った。
生きよう。
と思わせてくれた人だから、一番大事な人だって思っている部分があるんです。
この人となら生きていける。生きていこう。って。
でもまあそれから数年経って、見えていなかった部分が見えたりもしますし色々状況も変わるわけで。まあ、あの時の判断は少し甘かったというか、もう少し考えて結論付けるべきだったかなぁと思ったりもします。なんにせよあの頃の私は若かったし、浮かれていたし、同居人は人をたらしこむ事については天性の才能がある。同居人の才能については今でもバリバリ現役。子供から老人まですぐに人をたらしこみます。
それでも自分で決めたことだから。となるわけですが、
この歳まで。
と決めた事と
生きよう。
と決めたことがまあ矛盾してくるわけでして、どっちを優先させるのかってことなんです。
いや、生きようと決めた時点でこの歳までっていう決め事はなしにしたつもりだったんですが、多分、私が一番大事だったり、世界が憎かったり、私を嫌いだったりする自分が
「ひとつ決め事を破ったのだから、もう一度破って、その約束を戻すこともできるでしょ」
と言ってくるわけです。
同居人と生きる決断を破って、この歳まで、の決め事を実行するのか。
年末になってまた1年が終わる。期限が近づく。そう思うと、私、結局どうしたいんだろうって思います。
自分がどうしたいのかわからない。
もちろん、生きたいけれど、生きることは辛くて苦しくて意味が感じられなくて。
ただただつらい思いをするだけで誰の役にもたてない私はいなくなったほうが世の中のためじゃないかって、消えたほうが楽じゃないかって。
これね、鬱なんですってね。最近心療内科へ行って薬を飲んでいるからかわかりませんが、また私の中の私が増えた気がします。
私が消えても世界は明日もいつもどおりまわるの。私が消えなくても世界は明日もいつもどおり。結局何も変わらない。
自分の為に、っていうことがよくわからない。私の承認欲求だとかを満たすために誰かのためになることをしたい。誰かに必要とされていたいし、感謝されたい。
そうして欲求が満たされて……それで?それからどうなるんだろう……
それは自分のため?誰かのため?
なんか書いてたら鬱くなってきた。よくわからない。
頭の中がぐっちゃぐちゃ。
今は結構楽しく毎日過ごしていると思います。特にここ最近、ブロガーさん達との交流も増えて楽しい。毎日ブログを書くことも好きです。楽しい。
そうしてまたしがらみが増えるんでしょ?なんて思ったりする嫌な自分も居る。
ああ、最低だな私、って自己嫌悪。みんないい人なのに。大好きなのに。
自分が楽しいと思っていることを同居人と共有できないことだとか、ああ、こういうのが価値観の違いか、って思ったりだとか、ね。
みんなが幸せになれればいいのに。幸せってなんだろう。
むずかしい。
美味しいご飯を食べて、たくさん眠って、好きなことをして、好きな人と一緒の時間を穏やかに過ごしたい。
まるで天国みたい
だなんて、私はきっとどうやって死んでも天国なんていけないけれど。
吐き出したら楽になるのかなあーって公開するってボタンを押して私の手元から離れていって、そうしてどうなるかは、書いている今はまだわからないけれど。
とにかく何にしても期限まではまだ年数があるのです。それまでにやると決めたこともあります。まずは少しずつ実行していこう。今を一生懸命生きよう。
そうして、何年か後、その時になったらどうなるか、それはその時の私に任せよう。
今は、今の私が楽しく、過ごせたら。今はそれでいいのです。終わりの見えた将来に向かってであっても、なんでもやっていこう。
私が今たしかにここに存在する、存在していたということを残したい。
そのためのあのノートだったけれど、ブログって凄いなぁ……
どうせいつか終わるのです。それが数年後なのか数十年後なのか、もしかして明日世界が終わってしまうかもしれないし、ね。
なんて。
おわり。