あさえ がんばる

高校中退フリーターでしたが、現在はライター兼・会社員になりました

ずっと何かに依存して生きてきました。

あさえです。

 

 

ずっとずっと何かに依存して生きてきました。人のために生きてきました。

 

 

それが美しいと思っていたのです。

それしか生き方を知らなかったのです。

 

生まれた時から姉が居ました。
姉のために、母のために、生きていくものだと思っていました。

周囲の大人は

「お母さんは大変だからあさえちゃんが頑張らなくちゃね」
「あさえちゃんは賢くていい子だねぇ」

なんて言いました。
いい子だと言われるのが嬉しくて。
いい子でなくては存在が許されない。頑張らなきゃ許されない。

 

姉が入院していた時に母が一緒に入院していて。
父と一緒にお見舞いに行って帰る時のエレベーターがトラウマでした。
病院のエレベーターが閉まって母が見えなくなる。
当時3歳かそこらだった私はエレベーターの仕組みもわからず、一度ドアが閉まって次に開くともう、母がいなくなっていて。
あの箱に入るのが大嫌いでした。
その時ばかりは泣きわめいていたような気がします。 

 

 

そのうち弟ができました。
守るものが増えました。
もっともっと頑張らなくてはいけなくなりました。
私が頑張ればうまくいくのです。

 

でもすぐに私と弟は家から離れることになります。
一時的に里子に出される、という話だったのですが、当時の私は捨てられたものだと思っていました。
だってその家に居たのはもう親が迎えに来ない人ばかりだったから。

すごくよくしてもらったと思います。でもキリスト教徒だったその家の人は、毎日神様にお祈りをしました。
姉が早く元気になるようにってお祈りをしました。

姉が元気になれば親は私達を迎えにきてくれるのかと思っていました。
頑張ってお祈りしました。

姉は元気にはなりませんでした。

迎えに来たのは親ではなくて親戚でした。

 

年長の殆どは保育園に通っていなかったと思います。
迎えに来た親戚の家から最後の数週間通っていたのだと思います。
記憶がおぼろげで、あまり覚えていないけれど。
辛くて、もう親とは会えないものだと思っていました。

 

小学校に入る前に親が迎えに来ました。
とてもとても嬉しくて、もっともっといい子でいなくちゃいけないと思いました。

いい子で、頑張らなくてはいけない。

 

小中学校の間はいい子だったと思います。いい姉、いい子、いい生徒。

 

地元では名のしれた高校に進学しました。入学してすぐのテストでは学年3位でした。
ほめてもらえて、嬉しかった。

 

バイトを始めました。家計を助けたくて、自分の物は自分で買いたくて。
勉強する時間、バイトの時間、通学にかかる時間、学校の先生との不仲。
大好きだった楽器との触れ合いを失いました。
放課後の学校から楽器の音が聞こえるのが辛くて、選択の音楽の授業で音楽室に行くのが辛かった。

 

そして親友が、いない生活……

 

私は、私が思っていたよりも強くありませんでした。
脆かった私はどんどん追いつめられていきました。

 

姉のために生きる私は役立たずになりました。姉のため、家族のために目指していたものは自分では手が届かないものだと知りました。

私では力がたりませんでした。ああ、姉のために生まれたのになんて役立たずなんだろう。

 

ですから、私は姉のためには生きられなくなったのです。

 

そしてどうやら私は自分のために生きなければいけないようでした。

 

どうやって生きていけばいいのかわからなくなりました。

 

足元がふらついて、地面が揺らいで。
部屋に引きこもって情報を遮断して、その頃の事はあまり覚えていないけれど。

 

単位が足りず高校を辞めることになりました。

 

 

あまり覚えていなくて、書けません。

 

でもそうやって時間を消耗して確かネットを見て。

 

あ、27歳までだけ生きようって思ってバイトして、札幌に強引に脱出しました。

 

 

ぼんやりとしたまま、手元にあるのは20万くらいの貯金だけ。

 

たまたまバイトが決まって。
ああ、これで貯金を残していなくなれるなって思った。

 

今だけ、楽しくすごそうって。ね。

 

 

そうして、そこに同居人が現れました。

いや、実家に帰ってきてしまった今、別居状態なので同居人という表現はもうできませんね。「彼」です。

 

 

「彼」は私を拾い上げました。今思えば「彼」には拾い上げたつもりもなかったのかもしれません。

ただただ、私は拾われて、救われて、そうして生きていこうと決意したのです。

 

 

そうして4年か、5年ですね。時間が経過しました。

いろんなことがありました。

 

 

少し親に吐き出しました。「彼」とあった色んなこと。

 

ひとつ吐き出すと次々に言葉になって涙が溢れて、親も泣いていて、悲しくなりました。

 

 

ああ、もうどうしたらいいのか。

 

 

親友にメールしました。

 

バカバカバカバカバカバカバカ

 

ってたくさんメールが来て泣きました。

 

泣きました。時間を作ってくれるみたいです。泣きました。

彼女が救いで、でも、結局彼女に依存しているのか?と思って困りました。

 

どうしたらいいのか。わからない。

 

もう一人の友人からも連絡が来ました。どうやら親友から連絡がいったようでした。
3人でご飯を食べに行く約束ができました。
それまでに気持ちをどうにかしなくてはいけない。辛い。

 

ひとりで立つってどういうことだろう。

ひとりじゃ生きていけないのはわかっている。

依存と共存の違いがわからない。

 

大好きなひと。大好きなだけじゃだめだって。

 

 

ひとりじゃ生きていけません。

大切なものも、たくさんできました。

 

はじめての人と、そのまま添い遂げるのが夢でした。

ただ一人だけ生涯で愛して、愛されていればいいと。

 

そう思っているが私だけではだめなようです。

 

 

母は言います

もう、娘を「彼」の元へ戻すわけにはいかない

と。

 

 

ああ、私はきっとまたこの家に閉じ込められる。

 

人生ゲーム。最初に戻る。

ただし歳はとったまま。失ったものは取り返せないし、得たものを捨てるには枷がかかりすぎている状況。

 

 

いま、23歳。数ヶ月で24歳。

あと3年と少しだけ。

 

これからどうしたらいいんだろう。

どうしたらいいんだろう。こまった。

親友に会えば何か変わるだろうか。

変わるだろう、きっと彼女は変えてくれる。

 

ああ、これも依存なのだろうか。

 

彼女と離れてから転げ落ちた私の人生。

それまでの私は結局彼女に引っ張られていただけで自分の足で立っていたことなんてなかったんじゃないだろうか。

生まれた時から、ただの一度も。

 

弱すぎて、弱すぎて、

自分が嫌いだ。嫌いだ。

 

こんな私を愛してほしくて愛を振りまいて安売りして

 

ああ、これ知ってる。テレビとか漫画とかで見たことあるよ。

こうやって安売りしている女の子を見て、私はどう思っていただろうか。

もっと自分を大切にして愛してあげればいいのにと思っていたなぁ

それはどうしたらいいんだろう。

具体策がわからない。

 

女の子はみんなかわいい?いつか幸せになれる?

それってキレイ事だったのかな。私は女の子ではないのかな。

なんて弱い、わたし。

誰かのためにしか生きてこなくて、そのくせ、彼女に引っ張ってもらっていて

 

また彼女に頼ろうとしている

 

親にも迷惑をかけて悲しい思いをさせた。

 

言わなきゃよかったことも言った。

辛かったことを話せば、親も悲しんでしまう。

娘がそんな状況だったと知って悲しんでしまう。

 

わかっていたのに話したのは私が辛くて辛くて抱えられなかったから。

 

強制的に実家に戻ってたったの少しなのに。

こんな風に思って、もしかしたらもうずっとずっと前から限界だったのかもしれない。

 

 

そう、ずっと前から限界だった。

 

だから親と少し向き合うことにした。ここに閉じ込められるならどうしても向き合わなきゃいけない、姉との問題。

 

きっかけは父がくれた。父は酔うと饒舌になる。
毎晩泥酔するまでお酒を飲む父もきっと何かから目をそらしている。

「申し訳ないと思っていたんだ」

と父は言ったのです。

「姉が入院していた時、幼いあさえに理解してほしくて、あさえは賢くて、でも理解してくれなくて、どうしていいかわからなかったんだ。それをずっと申し訳ないと思っていたんだ」

 

と。

 

ああ、父も大変だったんだなぁと思いました。不器用なりに私を愛してくれていて、それでも不器用な父ではうまくいかないことがあって、きっと父も辛かった。

その気持ちが聞けただけで十分で。

「メロンパンで喧嘩したこと、覚えてる?」

って聞きました。

「え、なんだっけ?」

と父は覚えていない様子。

「私のメロンパン、お父さんが食べちゃって。それで怒った私がお父さんを叩いたら、『親に手を挙げるとは何事だ!』って逆に怒られてさ」

「なんだそれ、そんなメロンパンなんて買ってきてやるよ」

「その時も同じこと言ってたよ」

2人でちょっと笑いました。

 

「里子に出された時、捨てられたかと思ったんだ」

この言葉を吐き出すのは今しかないと思いました。つらくて、喉につまって、苦しいことば。吐き出すと少しだけ楽になって。

「そうかあ……それはすまなかったなぁ」

と父は少し悲しい顔をしました。

「会いに行きたかったんだけれど、それは困ると里親に言われたんだよ。もう、迎えにこない子が多かったから、そっちに影響も与えるからってさ」

ああ、そうだよなあって大人になった私は納得。

 

ずっと苦しかったものがひとつ腑に落ちて。苦しかった思い出はあるけれどもやもやは晴れたからきっとそのうち受け入れられる。と思った。
少なくとも愛されていないと思う状況について苦しむことはなくなったわけで。

 

そのあとは父と母の馴れ初めを少し聞いたりもしました。
いつも喧嘩してばかりの父と母だけれど、父は母をすごくすごく愛していると言いました。それだけですごく安心しました。
両親が愛し合っている、ちゃんと私は望まれて生まれてきている。
ちゃんと愛に包まれている。
それだけで安心しました。
私は邪魔じゃないのかなってちょっと思えて。涙が出ました。

 

母は、暫く私と一緒に眠ってくれると言いました。
人と接触することをあまり好まない母なのに。

 

一緒に眠る時、母が言いました。

「逃げ場がないと思わせてしまってごめんね」

あ、この流れなら言えるかもしれない、と思いました。

「ずっとずっと、自分で決めなさいって言われて育ってきた。自分で決めたことに責任を持ちなさいと言われてきた。自分で決めたのだから納得できるでしょ、と言われてきた。だから、自分で決めて高校を辞めて、札幌へ行って、『彼』と一緒に生活してきた。辛くても自分で決めたことだから自己責任だと思っていて、ここに逃げるという選択肢はなかった。こんなことになってしまってごめんなさい」

 

母は泣いて私を抱きしめてくれて、ごめんね、と泣きました。

 

誰も悪くなくて、ちょっとした行き違いで。
母だって姉の事でたくさんたくさん、辛くて苦しかったに違いない。

自分で決めて責任を持つ、というのは母がおそらく自分で実行していることで、きっと母はそれでうまくいっているのだろう。

私は母より少し劣っているようで、決断の誤りを認めることも、それを自分で正すこともできなかった。

そんな自分を認めて、母に何度か謝りました。

静かに、ぽろぽろ溢れる涙は「彼」と一緒に居た時に溢れていた恐怖にまみれた涙とは違うものでした。

 

睡眠薬を飲んでいたので泣きながら気がついたら眠りました。

 

そこから数日。

少しずつ、少しずつ、前に進もうとしています。

まだまだ彼のことが好きで、好きでしょうがないし、この気持ちを消してしまうこともしたくない。

でも大好きなまま、離れたままで前に向かって進もう。

もっと好きな人ができるかもしれない。できないかもしれない。

「彼」の事が一番好きなまま、別の人と結婚することになるかもしれない。

 

それでもいい。投げやりにはならない。きっとどんなかたちでも幸せに、なるから。

ああ、楽しかったなぁって思って死にたい。

 

 

そうして地獄でまた彼と出会って、そうしてお互いの人生について少しお話をしてみたいな。

なんて、地獄があるかどうかはわからないけれど。

何もないならそれでもいいの。

 

 

自分の足で立つための、最初で一番大きかったところとは少し向き合うことができたから。

だから、だからね。

お姉ちゃん、も、お母さん、も、お父さんも。

ああ、もちろん弟も。

依存はしないよ、自分の足で立つよ。でも家族が居るってわかったから。もうわかったから大丈夫。

 

 

両親が精神科通いに理解がないこともわかっている。
弟すら、ネットのコミュニティについて批判的なこともわかっている。

 

それでも、ただそこにあり続ける私を否定しないでいてくれることのなんと素敵なことか。

 

理解してくれなくても、批判的であっても。それでも、逃げ場として受け入れてくれているのがすごく嬉しい。

ただただ、それだけでいいの。

 

 

理解のある人はネットにたくさんいるし、そのネットコミュニティに批判的なのはきっと弟は私と違って外交的だからでしょう。

親については世代の違いもありますし、仕方がないことなのです。

 

違いを受け入れて一緒にいられる。

 

価値観が違っても大丈夫、って思える私の土台は確かにここにあったわけで、やっぱり私はこの家の子供でした。

 

ちゃんと足場を固めよう。しっかり自分の足で立とう。

そうして、そうして、いつか、大嫌いだった彼にも、大好きだった「彼」にも、自慢できるような私になろう。

 

 

そうなれるって自分を信じてあげよう。受け入れてあげよう。

私を変えられるのは私しか、いないから。

 

 

 

 

おわり。