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あさえ がんばる

高校中退フリーター。資格をとって就職したい。現状は病んだり休職したり。

やっぱり書くことが好き

あさえです。

 
私は元々書くことが好きです。
それがどうして苦痛に感じてしまう事があるのか。
 

ずっと前から好きでした。

昔から、ほんとうにずっとずっとむかし、いつから始めたかなんて記憶にないくらいむかしから日記を書いたり、物語を書いてみたりしていました。
 
 
 
それは現実逃避だったのか。
ストレスの捌け口だったのか。
他の何かだったのか。
 
 
それらすべてだったのか。
 
 
わからないけれど、書く事が好きでした。好きで、好きで、大好きで。
 
 
 

13歳のハローワーク

作家になりたいと思っていた私に現実を突き付けたのは13歳のハローワークでした。
 
「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」
 
私はもっと現実的な目標に目を向けるようになって、それでも書くことは止めませんでした。
それは授業のノートをとったりすることですら楽しいくらいに書く事が好きだったのです。
自己満足でしかないそのノートを、無意味だと罵られたり、無駄なことに時間を割くなと怒られたりすることもありました。
そんなことばかりだった気もします。
 
 
でも、ほんの時々、私のノートが好きだと言ってくれる人がいて、私の文章が好きだと言ってくれる人がいて、それだけでとても嬉しくて、嬉しくて、私は救われたものでした。
 
 
 

手帳と手紙

手帳を書いていました。余白に色んなことを書きました。
 
 
読んだ本の気に入った一節
好きな歌詞
楽しかったこと
嬉しかったこと
悲しかったこと
辛かったこと
 
 
楽しいことは読み返せば楽しいし、悲しいことは書くことで悲しみがやわらいでいきました。
 
 
友達と手紙のやり取りをしていました。私の文章が好きだと言ってくれた友達が
「まねっこしちゃった」
って言って手帳を書くようになりました。
そうして、私の手紙の中から気に入った一節を手帳に書き写しているのを知った時、とてもとても嬉しかった。
少しだけこそばゆい、恥ずかしいような気持ちもあったけど、私から紡ぎ出されたことばをそうして書き写していつも持ち歩いてくれることに喜びを感じました。
 
 
 

作文は嫌い

書くことが好きだと散々書いてきましたが作文は嫌いでした。
 
 
○○について   もり あさえ
私は
 
 
だけ書いて手が止まる。
この作文では何を求められているんだろう。
何を書いたらいいんだろう。
どういう風に書いたら……
ぐるぐる思考が回る。教師が課題としてだしてきたソレに応えるような文章が書けない。課題にされてることが、よく、わからない。
求められているのはいったいなんなのか。
みんなが同じお題で同じような文章を書いて、私が書く必要はあるのか。私の文章が求められているのか。こんな事は私が書かなくても他の人が書くんじゃないだろうか。
平々凡々な、教師受けのする文章を書いたところで何になるのか。
それは果たして私の文章なのか。
好きに書いて評価されなかったら、受け入れられなかったら。
これは教師から出された課題なのだから、教師に受け入れられなければその文章に存在意味はなくなってしまうのではないだろうか。
私が私として書く文章、私の文章としての意味を持たせながら、教師にも受け入れられる文章。そんなものが私に書けるのか。
ぐるぐる思考がまわる、まわる、まわる。
 
 
 

きもちわるい

それはいつの頃だったのか。高校生の時であることは確かなのですがそれ以上はよくわかりません。
 
 
手帳をつける事が義務的になりました。
授業でノートをとることも苦痛になりました。
文通相手にも手紙が送れなくなりました。
 
 
 
小説も、詩も書けなくてほんの少しの文章すら書けなくて。
 
 
義務的だった手帳は義務すら放棄して白いページだらけ。
 
 
他の好きだったこともできなくなって、義務もこなせなくなってそうして、はい
 
 
 
 
 
 
 
 
ヒキコモリのできあがり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なろうと思えばいつでも作家になれるなんて嘘。
 
 
だって今の私は言葉を紡げない。
 
 
そう思ったことですら文章にできなくてつらくて苦しくて言葉にできないいろんなものが身体中を這い回って、めぐって、めぐって、掻き乱して、ぐちゃぐちゃになっていく。
言葉にできなかった、してあげられなかった、ことばが、きもちが、できごとが、かんじょうが、全部全部私の中をまわってめぐって
 
 
 
 
 
 
ああ、きもちわるい。
 
 
 
そう、きもちわるいんだ。これはきもちがわるい。
そのことばがようやく言葉として外に出てきた時、出してあげられた時。
その時ようやく、言葉が紡げるようになって、今まで私の中を巡っていたことばたち、這いまわっていたものたちが言葉になって溢れてきて、そうして1冊のノートを書きました。
 
 
 

やっぱり書くことが好き

いろんなことがありました。
それらを放出するために便利な道具がたくさんあります。
 
手帳に手書きしていた言葉たち。
今でも手書きすることもあります。たくさん、たくさんあります。
 
それでも
Twitterで吐き出せば誰かの目に留まる。
ブログにして文章にまとめれば見ず知らずの人が検索で覗いてくれたりする。
ツイキャスで声に出して発した言葉を聴いてくれる人もいる。
それらが混ざり合って交流が増えて、それぞれから始まった交流が違う場所での交流に繋がったりして、現実では到底知り合いになれないような世界の人と繋がる。
いろんな話が聴ける。その人たちが私のことを、私の文章を好きだと言ってくれたりする。
 
 
ああ、なんて楽しい世界。素敵な世界。
 
 
オンラインでの繋がりが、現実での出会いに繋がったりもする。
すごく、すごく、なんて素敵。
 
 
でもそれが、増えればふえるほど、関係がふえていって、ふかくなっていって、
たのしいはずなのに、うれしいはずなのに
ああ、なにをかけばいいのか、これをかいたらあのひとはどう思うだろうか
 
 
なんてくだらないことを考えてしまうようになったり。
 
 
 
 
 
上手なブログの書き方
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そんなことばがわたしの身体にはいってきて、めぐってめぐって
あのことばをわたしに与えたあの人たちはそういうものを期待しているのだろうかなんて考えたり。
そういうものの方がたくさん求められているんだろうか。
 
 
 
そうしたら、何を書いても途中で手が止まってしまう。
書くことを苦痛に感じてしまう。
 
 
で、あれ、作文の時と一緒なのかな、って思ったわけなんですけども。
 
 
 
 
 
 
 
でもね、でもね、その時とは全然ちがうの。
 
 
スタートが違うから。順番が違う。
もともと外側の私を知っていてそこから内側を知っていって幻滅されるとかそういうことじゃなくて
 
内側から知られていて、外側も知られただけで
 
だから状況が一緒でもね、順番が違うからぜんぜん、全然、違うの。
 
 
 
 
 
それに気付いて、やっぱり文章を書くことが好きで、好きに書いていいんだって、やっぱりここで好きなことを書こうって思ったのでした。
 
 
 
文章を書くことが好き。
だから、ブログを書いているの。
私の中を巡って回っていることばたちを言葉にして外に出してあげて、そうしてそれが誰かに届いてそれがほんの少しこそばゆくて恥ずかしくて
 
 
でも、でも、すっごく嬉しくて。
 
 
手帳の時のあの感じをまた、味わえるの。もっともっと大きな規模で見てもらえる。なんて素敵。
人と比べたりはしない。あの人みたいにって思ったりすることもある。
でも争いたいわけじゃないから。
 
 
いろんな人の文章を読んで、ことばをとりこむ。
すごくすき。たのしい。
 
 
いろんな人が私の文章を読んでくれて、とりこんでくれる。
すごくすき。うれしい。
 
 
やっぱりね、書くことが好きです。
だからこれからもきっとずっと、ずっと続けていくから。
変わったな、って思われることもあるかもしれないけれど、良くも悪くも私の根っこは変わらないから。一番根本のところは変わらないんだよ。
 
 
 
 
書くことが大好きだよ!!!!!!!!!!!!!
 
 
 
 
おわり。