あさえ がんばる

高校中退フリーターでしたが、現在はライター兼・会社員になりました

私は幸せでなければならない

あさえです。

 

私、幸せじゃなくっちゃいけないんです。だって幸せなんだから。

 

 

幸せだったのです

 

以前札幌に住んでいたころ。ああ、旭川に戻ってきてから半年くらい経つのですね。

周囲から見た私は不幸に見えていたかもしれません。

頑張っていて、それが報われていないようにみえたかもしれません。

確かに頑張っていました。方向は間違っていたかもしれないし、もっといい方法もあったかもしれないけれど自分なりに頑張っていて、そうして、それなりの結果も得ていたのです。

だから、追いつかない部分があったりだとか、自分の身体やメンタルに影響が出ていても幸せでした。

報われないことが辛くても、見返りを求めてやっていたわけじゃあないし。

好きな人の一番近くで一緒に暮らしていられる、帰ってくる場所でいられることは幸せだったのです。

怒る彼は怖かったけれど、それでも仲良くしている時にはほんの少しだけ優しい時だってあって、それだけで幸せを感じられたのです。

大変だねって、辛そうだねって思われていても、大変かもしれないし辛いけど、私はいま幸せだよって胸を張って言えたのです。

ああ、幸せだなあって。そういう生活だったのです。

 

 

今だって幸せです

とっても幸せ。もう戻ってこられないと思った実家に戻ってきている。

家事はほとんどしてくれるし、自分の部屋もある。

家族仲はいいほうだと思うし、友人にも恵まれている。

大好きな人がいる。大切な人がいる。私を理解してくれようとする人もいるし、理解できないってわかった上で受け入れてくれる人もいる。理解できなくても理解しようとしてくれる人もいる。

なんて幸せだろうか。

仕事だってしている。正社員ではないけれど、残業代だってでるし、職場の人間関係も良好だし、かわいがってもらっている。

仕事内容だって、なんてことはない、事務作業だ。事務作業は好きなほうだし、以前に比べればストレスのない仕事をしている。

ああ、なんて幸せだろう。

 

幸せななんだ。たしかに幸せなのだけれど

それでもその幸せにつらさを感じる自分がいる。

 

幸せなことがつらい。幸せでなければならないことがつらい。こんなに幸せなはずなのにつらく思っていることがつらい。

恵まれているのに、不自由な事は減ったはずなのに、それなのに私はまだ、まだつらいと感じている。

自分で自分の首を絞めるような真似もしている。

そのことにも申し訳なく思ったりつらく思ったり、馬鹿な自分に嫌気がさしたり。

 

こんなに、恵まれているのに。

恵まれているのだからもっと幸せでいなくちゃいけない。

毎日が楽しくて嬉しくてそりゃちょっとくらい辛いこともあるかもしれないけれど、でも私はいまとっても幸せです。って胸を張って言えなくちゃいけないのに。

 

 

友人の母が私の母に話しているのが聞こえました。

「あさえちゃん、いいねえ。いまきっとすっごく幸せだよ」

と。

 

そう、私はいまきっとすごく幸せでなくちゃならない。周囲からもそうみられている。だからそれに見合った、それ以上の幸せを感じなくちゃいけない。

 

どうだろうか。私はいま期待されているような幸せを感じられているだろうか。

 

幸せになりたい。

幸せでありたい。

 

幸せですよ。確かに、幸せなんです。幸せなはずなんです。

 

でも、でも、私はきっともっともっと幸せでなければならなくて。そういう状況なのにこれっぽっちの幸せしか感じられない私はきっとどこかおかしくて幸せを手に入れる資格なんてないんだろうかって思ったりして。

でも私がこういうことを思うとつらく思う人だっているんです。

 

そんな無限ループにはまって、自己否定と自己肯定を繰り返して、ああきっとまだ時間が足りないんだ、なんて甘えた結論に至ってそうしてまた自己嫌悪。

 

 

もっと幸せでなければならないんです。

 

でも、私は幸せなんです。確かに今も幸せを感じているんです。

 

 

 

自分が信じられなくて、自分が嫌いでああ、どうしよう。

 

困っちゃうね。

 

きっとだから、まだまだ時間が足りていないから。

ごめんなさい。

 

 

きっと未来には幸せになれているはずだから、だから、もっとそのために頑張らなくっちゃいけないから。

 

 

 

また明日からも、がんばろう。

だいじょうぶ、きっとやればできる子だから。

 

 

 

 

 

あさえ。