あさえ がんばる

高校中退フリーターでしたが、現在はライター兼・会社員になりました

親に捨てられるのは悲しいことです

あさえです。

 

 

時事ネタにちょっと触れてみます。

正直このニュースについては自分の傷をえぐられる部分が多くてあまり耳にも目にもいれないようにしていたのですが、あまりに目にも耳にも入ってくるので、言語化して思考を整理しようと思います。

北海道の山で7歳の男児が行方不明になった件についてです。

 

 

親に捨てられた

本当に捨てられたわけではありません。事実私は今実家で暮らしています。

私が捨てられた、と思った過去の話です。それほどひどい話でもないと思います。絵にかいたような幸せな家庭ではなかったかもしれないけれど、それでもそれなりに幸せだったし、愛されていたし、私が経験したようなことはきっとごくごくありふれた話だったのです。それをどう受け止めるか、という私自身の問題もあります。
だから思考を少し整理したい。

 

外に出された

怒られて、結果外に出された。季節も関係なく。
冬でも、そのまま。片づけられないおもちゃと一緒に。

冬の旭川って、寒いんですよね。寒くて、でもお母さんはすごく怒っていて、外に出されて、私は泣いていて、悲しくて、つらくて、自分が悪いのもわかっていて、でもそんなに怒らなくたっていいのに、なんて思ったりもしていて。

そんな思い出。

日々、お前は川の下で拾ったんだ、って言われていた時期とも重なっていたので、冗談だと思いつつ、そうやって外に出されたときはいつだって、本当に拾ってきた子供だから悪い子だと捨てられるんだって思ってました。

いい子じゃないと、捨てられる。

いうことを聞かないと、捨てられる。

怒っているお母さんは怖い。

でも怒ったあとのお母さんはすごくつらそう。

大好きなお母さんがつらそうなのは、つらい。

いいこじゃないと、いけない。

 

弟が怒られたとき、同じように外に出されそうだったことがありました。

悪いことをしたので当然だと思っていました。その頃の私はいい子でした。

弟が泣いて謝ると母は弟を外に出すのをやめました。

ああそうか、弟は本当にこの家の子供だから捨てられないのか、と思って、でもその頃の私は自分もこの家の子供であるということをわかってはいたので、弟のほうが好かれているんだなぁくらいの受け止め方をしました。

弟はかわいかったので当然のことです。

私はかわいくないから、せめて、いいこで、賢い子で、物わかりのいいこでいなくちゃ、捨てられる。邪魔にならないようにしなくちゃいけない。

 

 

里子に出された

姉が入院しました。お母さんも付き添いで入院です。

それ自体はよくあることでした。でもいつもより長期の入院になるようでした。お父さんと弟と3人で暮らすことになるのかと思いましたが、全然知らない人の家に行くことになりました。

何度か児童相談所に通ったあとだったと思います。

知らない人の家に連れていかれて、今日からここでしばらく暮らすんだよ、迎えに来るからね、というようなことを言われたと思います。

ああ、捨てられるんだなって直感的に思ってたくさん泣きました。

でも置いていかれてやっぱり、捨てられるんだなって思いました。

その家には捨てられた子供がたくさんいました。親から保護されたような子供もいました。年上も年下もいて、その中に弟と2人投げ出された私は、つらくて、でもなんとか生きていこうと思いました。

今まで知らなかった世界、知らない常識、家と違う習慣。

いろんなものにふれて、体罰を受けたり、愛情を受けたり、姉のために祈ったり、いろんなことをしました。

そう、本当にたくさんのことをあそこでは学んだと思う。たくさんの人に触れたし、いろんな境遇の人と出会ったし、「普通」にしていたんじゃ触れられない、隔絶された世界に触れた。

 

 

 

そうして、ある日突然「普通」の世界に戻された。

私は混乱して、でもなんとか溶け込もうとして、結局失敗した。

それは小さな失敗だったからあとから取り戻すことはできたのだけれど、それでも、それでも、突然世界が何度も変わる経験と、失敗した経験は私に根深く呪いを残している。

 

 

 

違う世界の間で生きる自分

両親はむこうの世界を知ってはいるけど、あくまでこっちの世界でしか生きていなくって、でも私は散々向こう側にも触れてしまった。

それがつらくてつらくてしょうがない。

どうして、わかってくれないの

どうして、私だけこんな思いを

どうして、すてたりなんて したの

 

 

なんて思ったりして、いまだに捨てられることがとても怖いです。

 

ふとしたことで、捨てられるんじゃないかと思う

何がきっかけになるかわからない。

 

他の人なら大丈夫なことでも、私がやるとダメなことがある。

私だから、許されない。

 

どうしてだろう。

 

私が特別、ダメな人間だからだろうか。存在すら許されない。

 

許されるためにはどうしたらいいだろう。

望まれる自分に、期待に応えられるように、期待してもらえるように。

 

それだけに期待に応えられなかった時が怖くて、期待されるのも怖くなって、でも期待されないと自分の存在意義がわからなくなって、そんなループ。

 

最近このループからなんとか抜け出せないかと思考の整理と、回路の調整をしていたところにこのニュースと、このニュースに対するたくさんの意見。

たくさんたくさん考えてしまって、でももうこれだけ日数が経ってしまって、日を追うごとに憂鬱になる。

 

どうか、どうか

世界がもっと優しくなればいいのに。

 

なんてね。

 

おわり。